院長コラム

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Doctor’s Column

活動の根幹「食本能」を適切にコントロールする方法 2020/2/20

「胃の満腹状態」と「脳が感じる満腹感」にはズレがある

このコラムの最初の記事に、空腹にはいろいろな本能を呼び覚ます力があると書きましたが、その空腹がもたらす「食欲」も、人間の活動の根幹をなす欠かすことのできない本能です。同じ原始的本能である性本能は、1週間や2週間のブランクがあっても死にはしませんが、食本能(消化吸収本能)は数日途切れれば、たちまち生命の危機にさらされてしまいます。

空腹状態で血液中の糖分(ブドウ糖)が足りなくなると、脳の視床下部にある摂食中枢が活発に働き出して「ものを食べろ」という指令を出します。それが食欲の正体ですが、一方、満腹のメカニズムにはある特徴があります。それは、胃の満腹状態と脳が感じる満腹感の間にズレがあるという点です。

満腹感というのは、じつは胃袋が満タンになったときに生じる感覚ではありません。それには脳の神経細胞が介在していて、脳の視床下部にある満腹中枢が刺激されることによって得られるのです。一定量の食事を摂ると血糖値が上がって、「満腹だ」という信号が脳の満腹中枢まで届く。すると、満腹中枢が「もう十分」という指令を出して食欲がストップする。こういう仕組みになっています。

ということは、脳さえ満腹信号を察知すれば、胃袋の許容量いっぱいまで詰め込まなくても私たちは満腹感を覚えることができるのです。逆にいえば、胃袋が満腹状態になったときにはすでに食べすぎているわけです。

ただ、この脳のメカニズムが作動するまでには(血糖値が上昇して満腹中枢が食欲に抑制をかけるまでには)、食事を始めてから30分くらいの時間が必要です。したがって、30分以上かけてゆっくり食事を摂れば、それほどたくさんの量を食べなくても満腹感は得られます。腹七~八分程度の適量で十分満足できるのです。

食べすぎるのはだいたい「早食い」が原因

ところが、脂肪分を多く含んだ「おいしい」食事、あるいは、よく噛まなくても食べられるやわらかい食事などですと、どうしても食べる速度は早くなります。動物的食欲にまかせてガツガツ食べてしまうからです。早食いとはつまり、脳がまだ満腹信号をキャッチしないうちにどんどん胃に食べものを詰め込んでしまう行為です。食べすぎの原因はたいていこれなのです。

以上のような満腹メカニズムが理解できると、食欲を人為的にコントロールする方法もおのずとわかってきます。それは、ゆっくり食べることです。ゆっくり時間をかけて食べれば、少量でも十分満腹感は得られるのです。その点で、コース料理というのは早食いや食べすぎをセーブしてくれるすぐれたシステムといえるでしょう。前菜から始まってメインディッシュに至るまで、料理が少しずつ時間をかけて出てくる。

日本料理のコースだと、けっこうな品数を食べたあとでやっと「ご飯はいつおもちしましょうか」なんて聞かれます。「最初から丼で出しとけ!」などと毒づきたくなるせっかちな大食漢もいるようですが、なるほど、ああしてゆっくり食べていると、ふだんよりも少ない量でかなりの満腹感を得られることが実感できます。毎日、コース料理を食べるわけにはいきませんが、あのように「ゆっくり食事を楽しむ」習慣はふだんの生活の中にもっと取り入れてしかるべきだと思います。

また、ゆっくり食べると、人間は自然とよく噛むようになります。よく噛むと、加工食品の濃い味つけに頼らなくても、素材のもつ自然で微妙な味で満足できるようになる。いってみれば味覚が敏感になるのです。味覚が鋭敏になれば、塩分や脂肪分の摂取量もおのずと減ることになり、脳の活性化にもつながっていきます。

極論すれば、粗雑な食事をしている人は粗雑な考え方、生き方しかできません。生活や人生の質を向上させるためにも、私たちは動物的な食欲を人間的にマネジメントする必要があるのです。

ぜいたくな食生活が引き起こす「弊害」

もし食欲がただ空腹を満たすためのきっかけにすぎないのなら、食事は単なる「エサ」と化してしまうでしょう。食欲は空腹を満たすだけでなく、人間らしい感情――楽しみやよろこびの源泉ともなる本能なのです。

たとえば、お腹が空いたとき「さて、何を食べようかなあ」とあれこれメニューを思い浮かべることは多くの人にとって大きな楽しみのはずです。「きょうは思いのほか仕事がはかどった。エラいぞ、私! 今夜は好きなものをお腹いっぱい食べよう」そんなふうに自分への〝ごほうび〟としておいしい食事を摂る場合もあります。いずれも食欲を満たす行為に大きな価値を見出していることのあらわれです。

おいしいものはかならずといっていいほど食べすぎてしまいます。食べすぎれば、それがどんな食材でも体にとってマイナスに作用します。

たとえば、塩分。塩(ミネラル)がないと生物は生きていけません。必須のものは本能的に体が欲し、体が欲しているものは当然、味もおいしく感じられます。おいしく感じられるから、つい食べすぎる。食べすぎて、過剰に摂取してしまった塩分がどれだけ体に悪いかはご存じのとおりです。1杯飲んだあとのラーメンやら漬け物にもしょう油をかけるやら、なかなか塩分の摂りすぎや濃い味との縁が切れないのです。

あるいは、脂肪分。脂質はエネルギー(カロリー)が高いので、誕生以来、長く飢餓状態がつづいていた人間にとっては最高の好物です。フライドチキンやトンカツに至っては油で揚げたころもの中に肉が入っている。これほど人間の、し好性の強いぜいたくな食本能をおいしく満たしてくれる食品はありません。しかし、おいしければおいしいほど、やっぱり食べすぎてしまう。これまた塩分と同様に、過剰に摂取した脂肪は体に悪影響をおよぼします。

生命の維持に必要なものは体が自然に欲する。体が欲するものはおいしく感じられる。おいしく感じられるものは過食しがち――この意思が欲望に敗れる図式はタンパク質においてもしかり、炭水化物においてもしかりです。

今ほど裕福でなかったむかしは、おいしいものを食べたくても、それを口にできる機会になかなか恵まれませんでした。肉を食べたくても木の実でがまんするしかない時代もあれば、お米を食べたくても麦飯しか食卓に上らない時代もありました。

でも飽食の時代の今、人間のぜいたくな食本能を充足させる環境は整いすぎるほど整っており(世界に目を転じれば、そんな国ばかりではないのですが)、当然、私たちが脂肪分や糖分を好む本能は以前よりもずっと強くなっています。だから、なおさら食べすぎる。栄養過剰、カロリー過多が肥満や糖尿病、高血圧などの生活習慣病に直結してしまうのは、今さら医者から指摘されるまでもなく、みなさん痛いほどご存じのとおりでしょう。

その意味で、食欲という本能は今、危機にあるのかもしれません。それが満たされない危機ではなくて、それが満たされすぎる危機です。

※本コラムは、『健康はあなたの体が知っている』(サンマーク出版)を一部抜粋・編集したものです。

この記事の執筆者 院長 永野 正史

三井記念病院内科腎センター勤務、敬愛病院副院長を経て2003年 練馬桜台クリニック開業。

山田太郎